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【2024/03/29 17:29 】 |
風魂歌 ~第1章 上京~

※拙い文面にて記述しておりますゆえ
 なにとぞご勘弁ください。



地上のものを全て上空に舞い上げる様な冬に吹きすさぶ風。
その風が家の窓を撫で始める頃、頭に残る懐メロを口ずさむかのごとく
自分の魂の呼吸が深く聞こえてくることがある。




第1章 上京

8年前
 前期・後期の国立を落とし、浪人だけはしたくなかったため
 センター試験のみの結果で合格できる大学を探して、18歳のとき上京した。
 方言・訛りが酷く、標準語とはほど遠かったしゃべり方が嫌いで
 大学の入学式の日にコンビニのバイトを決めた。
 手っ取り早く標準語を身につけるには、誰かと話をすることと思ったからだ。

 入学式の3日ほど前から母・姉に手伝ってもらい、生活に必要なものを揃えていた。
 その母・姉もバイトの面接から帰ってくると、すでにアパートにはおらず、
 机の上に「これから一人でがんばれ」と母の字でつづられた手紙と
 その晩の夕飯だけが帰りを待っていた。
 本当の意味での一人暮らしの始まった瞬間であった。

 大学までは自転車だけだと1時間ほど。
 駅まで自転車でいって電車に乗り換えすれば30分程度。
 地元で電車に乗ることなど、年に2回あるかないかだったこと、
 そして高校に自転車で2時間かけて通学していたこともあり、自転車で通学することにした。

 方言がでないように気をつけながら会話をすることが不快でしょうがなかったが
 運良く野球部の見学に行った時、同郷を見つけることができた。
 上京してからなんの気兼ねもなく、自分の友達と話せる方言。至福の時間であった。
 
 あっという間に1ヶ月が経ち、ゴールデンウィークには初帰郷。
 たったの1ヶ月が果てしなく長く感じられて、そして実家の温かみを初めて知った。
 実家にいると口うるさく感じることも、一人のアパートに帰る度に有難味に変わるもので
 しかしそこは男子というべきか、母に電話することもなく。

 小学校から続けていた野球の部活に入り。1年からレギュラーで試合に出場していた。
 試合のほとんどは都内近辺で行われていたため、学校からバンを借り、
 部員の誰かが運転し、試合に向かっていた。
 このバンの運転は毎年試合にでることのない1年が担当する慣わしになっていたため、
 1年は車の免許をとることが必然になっていた。

 3ヶ月が過ぎ、お盆の2回目の帰郷。
 このタイミングで車の免許をとるつもりであった。
 しかし、地元の友達との遊びに夢中になり帰郷している間に
 あとは本試験を残すという形でとることはできなかった。
 これがのちのち大事件を起こすきっかけになる。

 お盆が終わり、再度一人暮らしのスタート。
 大学・バイト・部活と忙しい毎日を過ごしていた。
 野球部の試合の日、
 「おまえ実家帰って免許とってきたんだよなー?」
 「はい。とってきました」
 「んじゃ今日運転してけ」

 本試験を残したまま。ようは仮免許状態での運転であった。
 友人の誰しもが「免許とったんだ」と疑うことはなかった。
 1度目の運転は何事もなく無事帰ってくることに成功。
 内心、もってなくても事故さえおこさなきゃ、ばれなけりゃ大丈夫だろと高をくくっていた。
 
 それは2回目の運転で起こった。
 試合も終わり、大学へ帰る道で
 「近くにうまいラーメン屋あるからよってこうぜ」
 「いいっすねー」
 ラーメン屋から少し離れた場所に駐車場があり、そこにとめて歩いていくことに。
 車をあいてる場所に止めようとしたとき、右リアから嫌な音が聞こえた。
 隣に止めてあった車のエアロ部分に接触していた。
 「やべ!逃げろっ!!」
 先輩の声に急いで車を後退させようとしたとき、車の持ち主登場。
 その駐車場の前でお店を経営している人の持ち物であった。

 一部始終を見られおり、逃げること、弁解することは不可能だった。
 そして免許をもっていないことも判明。人生初のパトカー乗車となった。

 不幸中の幸いとかこのことで、事故現場が駐車場であったこと、
 仮免許をもっていたこと、助手席に免許取得から3年以上経過したものがいたこと
 また警察が未成年ということもあり、穏便にすましておくれたことから刑事事件にはならなかった。

 警察の取り計らいで自賠責も降りることになり、自腹での請求自体は免れたが、
 学校側としてはそれでは納得しない。
 事故後の更新料である20万の支払いを命じられた。
 今までのコンビニのバイトだけでは足りず、パチンコ屋でのバイトも掛け持ちした。
 1週間の間で土・日・月はバイトがかぶっていたため、3日3晩不眠でバイトをこなした。

 1ヵ月後、20万の支払いのために学生課にキャプテンと話しをしにいった。
 キャプテンは1年からレギュラーをとっていた自分に対し、とてもよくしてくれ、
 また野球内での実力もNo.1であり、頼れる兄貴的な存在であった。

 その兄貴を裏切った代償は大きかった。
 学生課との話し合いが終わった瞬間からキャプテンは二度と口を利いてくれることはなかった。
 
 学校への支払いのため友人からの誘いも全て断り続けていたのだが、
 それもひと段落したということで同学年のよくつるんでいた3人に呼び出された。
 「お疲れ様」「大変だっただろう」労いの言葉から始まった4人の会話。
 そのうちの一人が今までの冷静さが嘘であったかのように殴りかかってきた。
 「おまえどうした!?なにがあった!!」
 「なんで俺らにもなんにもいわなかたんだ!仲間じゃねぇのかよ!」
 殴られた顔なんかどうでもよかった。
 心に響いたその言葉で泣き崩れていた。

 大学入学の年で、正月を控え、かざはなが吹きかけていた頃
 大切な先輩を失い、尊ぶべき親友を手に入れた。




※フィクション・ノンフィクションを織り交ぜての短編小説となっております。
 今後も暇を見つけて「自ら」を客観視しながら書いていきたいと思います。

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【2009/01/22 16:11 】 | 暇つぶし | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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