× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
※当時の話の再現です ここは昭和53年の4月。 ジリリリリリ! 「はい。株式会社○○です~」 「なんだ。お袋か。どうした?」 「え?」 「本当か!?」 「わ、わかった!すぐいく!!!」
「あ?」
「あ?生まれた?」 「なんだって?!」 「よかった。とかった」 明日母親が退院するというのに、飲めや歌えやの大宴会です。
→→→→
「がんばったなぁ。」 「まぁ。女の子でもいいじゃないか。次があるんだしな。」 「あ。それとこれな。」 「なんで戸籍謄本?」 "長女 加菜" 「名前付けてきたから」
←←←←
「お。そうだ。名前つけるかぁ~♪」 「娘の名前きめにきたんだけど~?」 「いや~。それほどでも~。」 「んで。何書けばいいんだ?」
→→→→
「そんなことは関係ない!!!」 「私の初めての子供なのよ?」 「なんで勝手に決めるわけ?」 「謝ってすむなら警察いらな~~い!」 「次は私が決めるから!」
→→→→→→→→→→→→
「本当になに考えてるんだか!」 俺・・怒られるこしてないんですけど・・・ PR |
もうちょっとじらしてからUPしようかな?とか考えていたのですが。 俺の気持ちを静かに聞いている妻。 まだこんななのに・・・。 自分で出した結論であることなのに、心をゆさぶられる俺がいました。
~第4章 移り行くものと変わらぬ気持ち~
子供が生まれた後にすることといえば、"名前をつける"ですね。
←←←← 「名前何がいい?」 「それでもなんか希望とかないの・・・?」 学校に入って、先生に 「う~~~ん・・・。」 「今考えてるんだよ!」 「えー。なんかそれ嫌だ。」 「△△なんかは?」 「じゃあ好きなやつにしろよ。」 勝手にやってくれと心底思いましたが、自分の子供の名前なのでそうもいかず。 「それじゃ何個か決めて、お寺で見てもらおうよ。」 「自分達で考えりゃいいじゃん。」
→→→→
「う~~~~ん・・・」 「だって・・一生のことでしょ・・?」 「だって・・・。あなたがあんなこと言うから決めれなくなっちゃったんじゃん!」
←←←
「そういえばさ。俺の姉ちゃんの名前って親父が決めたんだよな。」 「でもさ。姉ちゃんはその名前、すっげぇ嫌ってる。」 |
妻が分娩室に入ってからどれだけの時間が流れたのでしょう。 ただ、妻と子供の身を案じて。 「煙草でも吸いにいくか?」
「俺にとっては、まだまだ子供なんだけどなぁ。」 「おまえもな。心配してもしょうがない。男ならビッとしてろ。」 「女はすごいから。なんてったって自分で親になれるんだからな。」 「相手が誰であったとしても、女は自分で子供生むだろ?」 「うん。自分の腹からでてくるんだからな。」 「でも、男はそうもいかないよな?自分で生めないからな。」 「だから男は子供に親にしてもらうんだ。」 「自分から親になれるだけ強いんだよ。女はな。」 お義父さんがなにを言いたかったのか、本心の8割以上理解できない状況ではありましたが、それでもその言葉は心に染みました。 喫煙室から戻ってきた俺は、さっきと変わらず分娩室の入り口に立ちました。 「まだまだ時間かかるよ・・?」 「・・・わかっています。」 しかし、 「あいつが中でがんばってるんです。だから・・俺も外で立って待ちます。」 「なんの力にもなれてないですけど、それでも立って待ちます。」 こんなことしてても意味がないことだと、何の役にも立たないことだと、自分でも分かってはいながら。 また、どれくらいの時間が流れたのでしょう。 分娩室の中からかすかに聞こえてくる、先生と助産婦さんと妻のうめき声に似た声。 "がんばれ!"
オギャ~!! あ・・・ それは今まで聴いたことのない声でした。 「生まれた・・・・。」 しかし、次第にお義父さんたちの声が聞こえなくなりました。 オギャ~!オギャ~!! オギャ~!オギャ~!! オギャ~!オギャ~!! 涙が頬を伝います。 ・・・二人ともがんばったね。 よく生まれてきたね・・・。 生まれてきてくれてありがとう・・・。 忙しくなるなぁ・・ お前のために、お父さんがんばるからな・・・ これからよろしくな・・・。
俺も親父にしてもらうことができたのです。
~誕生~ 終わり ありがとうございました。
|
とるものもとりあえず、車に乗り込みます。 "もうすぐ生まれる?" まだまだ子供の俺が子供を授かるということに、今更考えばおいついておらず、意味不明な自問自答を繰り返しながら病院に向かいました。 数分後、病院についた俺は、嫁のいた病室に駆け込みました。 どこだ!?どこいけばいい!? 「こっち!!!」 ※子供が生まれるときははじめ陣痛室と言うところで、出産のための準備をします。 陣痛室にはいると、嫁が悲痛の叫びと共に、ものすごい顔で痛みに耐えています。 「大丈夫か!?」 男友達が思いっきり握ったとしても出ないんじゃないか?と思われるぐらいの力の強さです。 陣痛が収まると、痛みも嘘のように消えるため、それこそ普通に話ができます。 「はぁはぁ・・。きて・・くれた・・・んだね・・。・・・ありが・・とう。・・・はぁはぁ」 「大丈夫か?そばにいるからな!?」 「うんうん。ちゃんと握ってるから!」 そこに助産婦さん。 「あの!立会いしてもいいですか!?」 「なんで・・・?」 「旦那さん。」 「はい?」 「今からね、新しい命が生まれてこようとしているの。」 「昔はね。出産でお母さんが命を落とすこともあったのよ?」 「それだけ大変なことを今からするの。」 「あなたの気持ちはわかるわ。」 「だけどお産は変われないでしょ?」 「お母さんは強いから。一人でも大丈夫だから。」 妊婦と助産婦さんだけが通れる扉を使い、嫁は陣痛室から分娩室へと移動していきました。 「いってくる・・・ね・・?」 その扉が閉まりかけていきます。 「がんばれ!!!」 俺の言葉に反応して、右手を上に上げてくれた時、静かに分娩室の扉は閉まりました。 |
そんな出来事から2ヶ月ほど経ちました。 「明日から産婦人科だから」 「うん。わかってるよ。」 「大丈夫。今は俺のことはいいから、自分のこと考えろよ。」 その日、俺がバイトに行っている間、妻は産婦人科に入院したのです。
俺は何をしてあげたらいいんだろう。 あのとき、もっと真剣に考えていられれば。 なぜ、もっと自分を追い込まなかった? あの日からすでに5年以上経った現在でも、しばしば考え込むことがあります。 時間の経過と共に、俺も少なからず"大人"というものになり、周りが見えて、理解できるようになってきたからこその、"今"。
っと、話がずれにずれて何の話をしていたのか・・。 次の日、着替えなどを頼まれていたことから、病室に顔を出しにいってみました。 「具合どうだ?」 「病院のご飯おいしくない。」 俺も高校の時、膝の怪我で入院したときにでた食事はお世辞にも上手いものではなかった記憶があります。 「あなたの作った料理が食べたい♪」 そうゆう相手の気持ちに気づけるようになったのも、これから何年も経ってからのことです。 数日が経ち、1日置きくらいに病院に顔を出していたとき、 「明日生まれるかもね。」 「明日って学校なんだっけ?」 「だめ。ちゃんといきなさい。」 「生まれそうになったら、ちゃんと連絡するから、学校いってなさい。」 「病院にいても、気が気じゃないだけですることないんだから。」 「煙草吸いにいくか。」 喫煙所にて、 「まぁ。あせってもしょうがないから、お義母さんにまかせとけ。」 その日は連絡がありませんでした。 そしてその次の日も。 またその次の日も。 煮え切らない気持ちのまま、数日がたったある日。 せかい~にひとつだけ~のは~な~~♪ 珍しく俺の携帯がなっております。 「はい。俺ですけど?」 「え?なんです?」 「えぇ?!」 |
忍者ブログ [PR] |